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2016.09.27 架構と仮構

大学の設計演習での講評会で、たしか竹山聖さんだったと思うのだけれど「建築は架構が大切だけど、仮構も大事だよ。」と言っていたことを思い出した。
建築は広義に様々な要素を架構していくこと、と捉えることも出来、それがあって初めて実際の「物」として世に産み落とされる。
つまり法律、構造、敷地条件、施主の要望、素材、コスト、施工能力…様々な諸条件を架構して一つにまとめ上げる作業は避けては通れないのである。
一方で、竹山さんが指摘した「仮構」という言葉は何故かずっと忘れずに心の中で残っている。
その時、竹山さんは仮構については何も語らずに、ただ「大事だよ」、という一言で片づけられてしまったので、時々あれは何だったのかなと、ふと思い出してしまう。
自分が思うに仮構とは、誤解を恐れずに言ってしまえば「未だ見ぬ建築を夢見て創造のボールを思いっきり遠くへ投げること」なのかなと勝手に解釈している。

「架構」することを社会に出、実際に建物を設計するようになってからその意味が徐々にわかってきた気がする。
ただし、その膨大な業務の中で「仮構」を忘れてはいないか、と自分に問いただすこともある。
「架構」、学生の時、それを全く理解できていなかったが、実務で徐々に体得していくものである。
「仮構」、学生の時、実は出来ていて(もしくは少なくともやろうとしていて)、意識していないとどんどん失われていく要素。
ただ建築が建てばそれでいい、そんな時代ではなくなった。
架構と仮構の領域を行ったり来たりしながら使う人にとって特別な建築が設計出来たらいいなと思う。
時に寄り添いながら、またある時はまったく違う次元からやってきて合流することもある…そんな不思議な関係なのかもしれない。

ちなみに仮構の答えは一つではない、設計する人の数だけ答えがある。
建築と同じである。