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2017.02.10 詩仙堂

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修学院離宮の見学前に少し時間があって詩仙堂へ。

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どうやら一番乗りで中に入れた模様。
学生時代から含めるともう4,5回は訪れただろうか。

建築と一体となった美しい庭園が目の前に。
まるで絵画の中に入ったかのような不思議な感覚に陥るのは何故だろう。
色々考えを巡らせてみたところ、ここの庭は微動だにしない「時」があるからだと気付いた。
生垣も、枝も葉っぱも自分のために動きを止めてくれているよう演じているのではないかと錯覚する。
空の雲は運動を伴うけれど、山の斜面で建築の中からは見えない秀逸な計算だ。
庭に見惚れていると、右手にある樹木の葉が微かに揺れて、現実の世界に戻される。

僕がこの庭が好きなのは、生垣の奥の床が見えないように作られているから。
見えないことで、底が水面なのか、樹木が生い茂っているのか、はたまたどこまでも続くブラックホールや別世界への入口か、そんな創造力を掻き立ててくれるのである。
そして、生垣の厚みも重要な役割を担っている。
あの厚みがあることで、その奥の面の強度や距離感が増しているからだ。
それはまるで、樂吉左衛門の茶碗の如し。
吉左衛門の茶碗を見てみよう。
多くの作品で縁が内側に捻られ、茶碗の内部は外部の華やかさに反して黒い物が多い。
つまり、形態と色彩でもって、茶碗の底を見えにくく作り、奥行や距離を込めている。
詩仙堂も茶碗も、奥を想像させることで奥ゆかしさを演出するという共通の和の遺伝子があったのである。
そう、この庭園は大きな大きな茶碗なのだ。
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